旧北足柄中物語

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旧北足柄中学校 ~異人館から海軍研究所を経て~

南足柄市に住む人も知らない歴史。

今だからこそ、子どもに家族に伝えていきたい話があります。

 

S32年 解体前の西洋館・日本館

 

S23、24年頃 校地整備

 

S34年 木造校舎移築建設

「あしがらアートの森」や「森のアトリエ・きたきた」の舞台となる旧北足柄中学校は、もとは東京にあった暁星学園が避暑のために建てた別荘でした。

太平洋戦争前、外国人教師らは避暑のため、白亜の洋館と藁葺き屋根の日本館のある別荘を利用していました。近隣住民は、丘の上の別荘を「異人館」と呼んでいたそうです。これが北足柄中学校の始まりです。
戦時中は、敵国外国人の抑留施設として米英の宣教師や貿易商ら53人が収容されていましたが、食糧事情は悪く病気などで5人がなくなりました。
ある時、抑留施設の近くに住んでいたカネおばあさんは、外国人が紙に書いた「SOS」の文字を見ました。外国人の窮状を知ったカネさんは夜陰に紛れ、数人の村人と豆やイモなどを運びました。差し入れは34回にわたりましたが、発覚し、警察書に一晩留置されました。
終戦直後、外国人はカネさん宅を訪れ、手紙とチョコレートを渡しました。手紙には、『あのときのいものあじはわすれません。』と書かれていたそうです。カネさんは、自分の身の危険をわかっていても苦しんでいる人のために行動しました。
それから、先生・生徒・住民が一丸となって校舎改修、グランドづくりにあたりました。またその後、内山地区にあった旧海軍の研究所の建物も解体移築して、中学校の校舎施設が完成しました。

資料/「カナコロ」 2010315日神奈川新聞

 

年表

昭和22年 北足柄内山の旧海軍研究所1棟と仮校舎として開校。
      生徒数118名。
昭和23年 「三本松の丘」と呼ばれる現在地に移転。
      旧外国人別荘を改造して校舎とした。
      生徒も連日整地、石や木材の運搬に従事した。
昭和30年   市町村市町村合併。北足柄村が南足柄村へ。
     勤労教育が尊重され学校でも様々な作物を育てた。
昭和32年 創立10周年。校旗、校歌の制定と校章の改定。
昭和34年 生徒会費用に充てるため、「ふき採り」と販売を開始。
     以降、伝統行事となる。
昭和40年 シンボルであった三本松が害虫と落雷により枯死。
     惜しまれて伐採。
昭和52年 創立30周年。翌3月、校地内の野口英世像設立。
昭和54年 現在の鉄筋二階建て新校舎落成。
昭和63年 創立40周年記念に2代目の「三本松」植樹。
平成09年 創立50周年記念式典。全校生徒による演劇活動開始。
平成22年 北足柄中学校閉校式
 
 ~63年間で1910名の生徒を送り出し閉校~

北中から望む秋

 

H18年丘の上の北中